MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

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293歩目 ジェフ・マントーとジム・マッコラム。1989年メジャー名鑑から。

 今週のフラッシュ。かつて日本に在籍していた外国人選手が登場していました。
 その中の一人、ジェフ・マントーさんは現在指導者として活動されている、との話。正直、巨人に来たのは性急すぎ。もう少し生かす方法があれば●●●●に名前を使われた中傷食らわなくても…と思う選手でした。

 実は…中学まで書いていた適当野球小説で、現存12+8球団の話を書いていまして。外国人選手の名前に困ってJICC社が出していた大リーグ選手名鑑から何人か「40人ロースターに乗った前年マイナーの有望株」の名前を借りました。ところがその名前を借りた4人の内、実際に日本に3人が来てしまいました。89年アスレチックスのダグ・ジェニングス(のちブルーウェーブ“D・J”)同エンゼルスのリー・スティーブンス(のちバッファローズジェフ・マントー各選手。
 となると必然的に「来なかった一人」が気になります。

 小説の名前使った4選手の中で唯一日本のプロに来なかったのがジム・マッコラムさんでした。
 マッコラムさんは85年にクレムソン大学からエンゼルスに9位指名されると3年間のマイナー生活の中で成長を見せ、88年の2Aミッドランドではスティーブンス、マントー両選手と共に主軸として奮闘。

 【88年ミッドランド】
・マッコラム 452-155 .343 20本塁打   75打点
・マントー   408-123 .301 24本塁打 101打点
・スティーブンス
         414-123 .297 23本塁打   76打点

 89年のエンゼルス名簿では40人のロースターに入っていたマッコラムさんでしたが、その年のプレビューにも90年名鑑にも『ジム・マッコラム』の名前は一行もありませんでした。そのままフェードアウトしたマッコラムさんに何があったか分かったのは、最近見たマイナーリーグのサイトでした。

 88年に主に一塁手として活躍したマッコラムさんでしたが、89年の成績は一気のがた落ち。翌90年のマイナーリーグでも盛り返す事はできず、この年限りで野球選手としてはピリオドを打ちます。
 日本球界で活躍を見せたスティーブンス、ジェニングス両選手にアメリカでわずかにでもインパクトを残せたマントー選手。3人に比べるとこれからという時に挫折してしまったマッコラムさん。願わくは、一人の人間としては幸せに生きていてほしい。そればかり願いましてこの項を閉じます。

【関連記事】拙稿2006年5月16日「No111 止まってしまったよ…電話はね。」

 ジム・マッコラム 年度別成績

85年 73試 267打― 85安 11本 47点 率.318(A級セーラム
87年 88試 359打― 88安  8本 36点 率.273(A級クワッドシティズ)
88年 118試 452打―155安 20本 75点 率.343(AA級ミッドランド)
89年   8試   30打―  8安   0本   5点  率.267(A級パームスプリングス)
      10試  33打―  7安   2本   8点 率.212(AA級ミッドランド)
90年   6試  24打―  7安   0本   3点 率.292(AAA級エドモントン
通算 302試 1128打350安打41本174点 率.310 


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