今日はヒロ…上舘洋文君の火葬に立ち会ってきました。
上舘君は大船渡農業高校の後輩にあたります。
私が高校を卒業したのと入れ替わりに入学。最初は個性の強い他のメンバーの影に隠れていましたが、やがて安定した実力とリーダーシップを買われ、主将に就任。
この学年の部員は、野球部未経験者も多く、この後入ってきた資質ある後輩と、監督交代によるチーム方針の変更から方向性間違えればチームが分解する危険性もありましたが、彼のリードにより新方針の『実力主義の徹底』と『チームに在籍するメンバーの居場所作り』を両立。この後2年間の『大農野球部最強期』の礎を作りました。
プレイヤーとしても最初は小柄な体躯でしたが、体強くしようとパワーアンクル(わかりやすく言えば“重り”)を常備し、3年次にはホームランを放つまでに体力を強化。主にサード、ショートを守っていましたが、どのポジションにいても自分の役割を果たした選手でした。
高校卒業した後は北上に引越ししていた私ですが、時折大農の練習の手伝いに来ていまして…何とか大農野球部強くするべ、と熱く取り組む様子を目の当たりにし、自身が引退しても後を受け継いだキャプテンのフォローをしていました。
高校野球の最後の試合を終えて数日。
放課後の教室で色々な事を語り合ったのを思い出しますね。
あの時何を話していたのか、中身は忘れましたが、本気の話をしていたのだけは覚えています。
そういう人間関係を作るまでにいたった上舘君が社会に出て…常時会う、というわけにも行きませんでしたが、時折見る姿は高校時代に見た『居場所を作る』姿そのままでした。やがて、職場でも活躍の場ができ、結婚もし、子供も生まれ。これからだ、というのに、わずか32年で…。
悔しくてなりません。
今日、多くの人が洋文君を見送りに来ました。
その様子が、そのまま洋文君の足跡だった、と思います。
この場に来た人も、来られなかった方も
どんなに別れがつらかったか。計り知れません。
それでも、一つだけ言わせてください。
洋文君。
あなたと出会えてよかった、と。
『人の居場所を作る』という行為を実行してきたその思い
見習って、引き継いで生きていきます。
だから、あとはゆっくり休んでください。
ご覧になった関係者の皆様に。
本当なら、こういう一文書いていいものか。
悩みながら書かせていただきました。
どうしても…報道なんかでは「~が○○人」というふうに語られる状況の中、その一人一人にはみんなそれぞれの人生があった、という事を知っていただきたく…なによりも無念にも犠牲になった人の中に上舘洋文という“好漢”がいた、という事実を残したくて、この一文を書かせていただきました。
上舘君は大船渡農業高校の後輩にあたります。
私が高校を卒業したのと入れ替わりに入学。最初は個性の強い他のメンバーの影に隠れていましたが、やがて安定した実力とリーダーシップを買われ、主将に就任。
この学年の部員は、野球部未経験者も多く、この後入ってきた資質ある後輩と、監督交代によるチーム方針の変更から方向性間違えればチームが分解する危険性もありましたが、彼のリードにより新方針の『実力主義の徹底』と『チームに在籍するメンバーの居場所作り』を両立。この後2年間の『大農野球部最強期』の礎を作りました。
プレイヤーとしても最初は小柄な体躯でしたが、体強くしようとパワーアンクル(わかりやすく言えば“重り”)を常備し、3年次にはホームランを放つまでに体力を強化。主にサード、ショートを守っていましたが、どのポジションにいても自分の役割を果たした選手でした。
高校卒業した後は北上に引越ししていた私ですが、時折大農の練習の手伝いに来ていまして…何とか大農野球部強くするべ、と熱く取り組む様子を目の当たりにし、自身が引退しても後を受け継いだキャプテンのフォローをしていました。
高校野球の最後の試合を終えて数日。
放課後の教室で色々な事を語り合ったのを思い出しますね。
あの時何を話していたのか、中身は忘れましたが、本気の話をしていたのだけは覚えています。
そういう人間関係を作るまでにいたった上舘君が社会に出て…常時会う、というわけにも行きませんでしたが、時折見る姿は高校時代に見た『居場所を作る』姿そのままでした。やがて、職場でも活躍の場ができ、結婚もし、子供も生まれ。これからだ、というのに、わずか32年で…。
悔しくてなりません。
今日、多くの人が洋文君を見送りに来ました。
その様子が、そのまま洋文君の足跡だった、と思います。
この場に来た人も、来られなかった方も
どんなに別れがつらかったか。計り知れません。
それでも、一つだけ言わせてください。
洋文君。
あなたと出会えてよかった、と。
『人の居場所を作る』という行為を実行してきたその思い
見習って、引き継いで生きていきます。
だから、あとはゆっくり休んでください。
ご覧になった関係者の皆様に。
本当なら、こういう一文書いていいものか。
悩みながら書かせていただきました。
どうしても…報道なんかでは「~が○○人」というふうに語られる状況の中、その一人一人にはみんなそれぞれの人生があった、という事を知っていただきたく…なによりも無念にも犠牲になった人の中に上舘洋文という“好漢”がいた、という事実を残したくて、この一文を書かせていただきました。