MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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その60 大船渡農業高校の“閉球式”。

 再び伊東です…とは言っても大分飛んでしまいましたね。
 この記事書いた日は4月15日なのですが、敢えて記事制作としては4月1日のエントリとさせていただきます。4月15日の記事から飛べるようにしていますので(だから見ているんでしょうけど)ややこしい形での記事制作にしてすみません。


 3月31日、年度末の日。
 年度内に色々用事を済ませようと駆け回った人々も、この日にはその用事の大半を処理し、案外落ち着いた状態になっていた夕方5時。私は母校・大船渡農業高校のマウンドにいた。

 この3月31日をもって、大船渡農業高校はその歴史に区切りをつけ、大船渡東高校として新しい一歩を踏み出す。関連記事として、東海新報の記事を紹介。
 ⇒大船渡農業高校、新校への移行式で「校旗」返納
88年の歴史閉じる(2008年03月22日付・東海新報)


 こうして、新しい道を切り開くための準備が着々と進んでいるんだな、と思う一方で、自分も含め数多くの人が居場所を作った“大船渡農業高校”という場所がなくなろう、としている事にふと、寂しさを感じずにはいられなかった。

 11月の最後の大農祭で書かせていただいたコメント。
「大農はたくさんの人に“居場所”を提供してくれた貴重な場所だった。新しい場所も、そういう場所であってほしい。ここで会ったすべての人に『ありがと』そしてガンばろな。」
 繰り返しになるけども、新しい大船渡東高校もそういう場であってほしい。

 この日の天気は一日中曇り、なはずだったが、夕方頃にふと光がさしてきた。
 まるであの日の試合のように。
 大農野球部最後の試合。(伊東製作記事はこちらから)
 あの日も天気は「晴れる事はない」予報だったが、最後は厚い雲の切れ間から太陽の日が差し込んできた。それが再現されたかのような天気に、皮肉というか、運命というか…不思議な気分を感じさせられた。

 一通り、グラウンドや学校校舎を見渡した後でバックネットに向き合った。
 始球式というのがあるぐらいだから、閉球式というのがあってもいいだろう。
 観客は誰もいなかった(当たり前だ)し、ホームベースはじめ、そこに野球部があったという足跡はバックネットのほかには見当たらなかった。だけども、18年付き合ってきた野球部のグラウンドだ。どこに何があったかは見なくても分かる。

 今の自分が持てる最高のボールを投げた。
 大きく振りかぶり、力いっぱい右手に力を込めた。
 手に持った硬式ボールを、バックネットに叩きつけ-
 そして、閉球式は終わりを告げた。

 ちょうど閉球式が終わる頃に、校旗が掲げられているポールから大船渡農業高校の校旗が降ろされ、新しい大船渡東高校の校旗が掲げられた。
 時代は移り、変わり行くのだろうが
 そこに居場所をつくる、世の中に居場所を作る
 そういう場としての“大船渡東高校”にこれからの期待をしつつ
 数多くの出会いを作ってくれた大船渡農業高校に感謝。

 グラウンドに深々と一例をしていた時に
 一旦さした夕日も、太陽ごと山の中に消えようとしていた。
 だけども、一旦沈んだ太陽も、時が来れば再び舞い昇る。
 「居場所をつくりにいく」大船渡東高に期待して
 そして「居場所をつくってくれた」大船渡農高に改めて感謝して
 この一文を閉じさせていただきます。


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