MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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第255号 ラストサマーに情熱傾ける12人の選手達に、ここ20年唯一の「レギュラーになれなかったバカ」からのエール。

※昨日の記事のタイトルは変更させていただきました。改めてこの記事を製作するためにこういう処置をとらせていただきましたのでご了承お願いします。

 こんばんは。伊東です。
 まず最初に、実社会での行動が、今現在の体調に反比例して多忙で、ブログ制作にまで手が回らない状況も生まれてしまっています。昨日は何とか4つのエントリを…とも考えていましたが、それも無理になりました。こうなった以上は、過去の記事をうまく使って書くしかありません。11日23:59まで、あがいて制作してみます。

 そういう状況ですが、今日はあえて大農野球部を主軸に書いていきます。
 私が大船渡農業に進学しようと思ったのは、地域一の進学校に進むには、兄のように夜中2時3時まで勉強せなあかんのか…(ちなみに兄は、その学校で学年平均10番以内の秀才でした)という事もありましたが、1990年の大農野球部が21-2、14-1で勝ち進み、三回戦まで勝ち上がったことに「この大農野球部には居所があるかも」という思いを持って、進学先を大農にしたのを覚えています。

 入学して、91年、92年と、夏一勝をあげる事はできましたが、93年、つまり、私が3年の時に0-2で惜敗し、そこから14年、夏の大会に一勝をあげることができなくなってしまいました。
 大農野球部は、高校野球らしい野球部か、といえばそういうわけでは必ずしもありません。日々の高校生としての生活にも悩みを抱え、一人間としての悩みも抱え、壁にぶつかりながら日進月歩進んでいく生徒が、その居場所の一つに野球部を選択し、その中で、成長していく。野球の強さでは全国でも下から数えたほうが…というものですが、一人間として成長し、世に送り出すという意味では、たとえPL学園だろうが横浜高校だろうが、そういうチームにも劣りません。

 そして、今年の夏は3人しかいない正規部員が出場できるように、という事で9人の「大農仲間」が野球部の助っ人にはせ参じてくれました。この様子は、日刊スポーツ東北版、報知新聞東北版にも取り上げさせていただきました。

(以下引用)大船渡農が最後の夏(日刊スポーツ)
 全国高校野球選手権岩手県大会組み合わせ抽選会が28日、行われた。岩手・大船渡農の野球部は3人しかいないが、助っ人9人をかき集め、県大会出場。来年度は他校との統合が決まっており、現校名での有終の1勝を目指す。試合は同12~22日まで岩手県営野球場ほかで行われる。                                  
 大船渡農の佐々木幸平主将(3年)は、抽選会の壇上で高らかに叫んだ。「大船渡農業高校、49番です」。来年は大船渡工や広田水産などと統合され、大船渡東として再出発する。大船渡農として抽選会に参加するのは、最後になった。「両親や地元の皆さんなど、お世話になった皆さんのためにも、恥じない試合をしたい」と力を込めた。                                           
 全校生徒235人中、男子はわずか44人。昨秋、野球部員は5人から3人に減った。対外試合には参加できず、今年4月の県大会気仙地区予選は欠場。それでも腐らずに、個人練習を続けた。「守備練習は投手と捕手、三塁手だけでやりました。打撃練習は、ネットに向かって打つのが中心です」と佐々木主将。昨年同様、夏の県大会は助っ人を集めた。バスケットボール部や陸上部だけでなく、文化系の美術部や新聞文芸部にも声を掛けた。羽上司部長は「大船渡農OBの思い入れは強い。最後の大会なので、頑張ってほしい」と期待していた。
 昨夏の初戦は、同年春のセンバツに出場した一関学院に2-21で5回コールド負け。今年は同じ沿岸地域の山田を相手に、創部60年の歴史を勝利で締めくくるつもりだ。(引用終了)
07年6月29日 日刊スポーツ東北版より


(以下引用)「大船渡農」最後の夏は3+9人で挑む…高校野球地区予選 組み合わせ抽選会
 第89回全国高校野球選手権秋田県岩手県の両大会の組み合わせ抽選会が28日、行われた。岩手では、来年度には他校と合併する大船渡農は部員3人ながら、他部からの助っ人の力を借りて現在12人がそろえ、1回戦で山田と対戦。現校名での最後の夏を戦う。
 大船渡農の佐々木幸平主将(3年)はクジを引くと、トーナメント表には目もくれず、ゆっくりとマイクへ。「大船渡農業、49番です」。1回戦の相手は山田に決まったが、佐々木主将は「相手は関係ない。日ごろの練習の成果を十分に発揮するだけですから」と自らに言い聞かせた。
 来年度には大船渡工と広田水産の家政科、高田の情報処理科と統合合併し、大船渡東(仮称)となる。1948年(昭和23年)創部の野球部も、今大会が現校名で戦う最後の夏だ。
 「最後だし、何とか勝ちたい」と話す佐々木主将だが、部員はわずかに3人。佐々木主将がエースで4番とチームの要。今野秀(2年)が1番捕手、今野直人(2年)が2番三塁手バスケットボール部、陸上部、美術部から小、中学校の野球経験者9人を助っ人に迎えた。
 その助っ人も全体練習に加わったのが26日。それまでは、たった3人で練習してきた。キャッチボールに始まり、ネットへのティー打撃、そして投球練習。投球練習中は、三塁手の今野直が一人黙々とバットを振ってきた。練習試合もほとんど組めず、今季は5月の3、4日に盛岡農と遠野緑峰と2試合を行っただけ。試合も相手高からメンバーを借りて実戦経験を積んだ。
 早朝7時からの朝練も日課で、戸田清和副校長は「頑張りはみんなが認めています。何とか、全部の力を出し切ってほしいですね」と話した。佐々木主将は「最後の夏なので、まずは1勝。いや2勝くらいはしたい。ほかの部の選手とも協力して、楽しい野球をやります」悔いの残らない夏に全力を尽くす。
 ◆岩手県立大船渡農業高校 1920年(大正9年)、岩手県気仙農学校として創立。1965年(昭和40年)に現校名となり、野球部は1948年に創部。在校生は235人(男子44人)。農芸科学科と調理師免許の取得などを目指す食物科の2コースがある。岩手県大船渡市立根町字萱中215の1。村上昭男校長。
(引用終了)
07年6月29日 報知新聞東北欄

 以上の2媒体に、立派な記事を書かせていただきました。
 こういう経過で、今年の夏に望む大農野球部のみんなへ。

 今年が最後、という事でOBOGはじめ、色々な所からの注目を集めると思いますが、それでもグラウンドに立った時は、自分のため…正確に言えば「チームが勝つために、自分がこの日まで培った日々の成果を12分に出し切って、自分の存在価値をグラウンドで示してほしい」
 去年、5年ぶりに大農に得点をもたらした佐々木君が、今度はエースとしてもマウンドに立ちます。2年生の2人も、野球ができるかどうか不安な状況の中で野球部に残り、あきらめないで頑張ってくれました。

 それを見ている同級生がいる。
 それを見ていた人がいる。
 後は、3日後に持てる力を、グラウンドに置いてってくれ。
 たたかう姿そのものが みんなの励みにもなるはずさ。

―――――――――――――――――――――――――

 話があっち行き、こっち行きですみません。
 夏の大会で勝てないでいた15年間。
 しかし、その間在籍していた野球部員は、ただ怠惰を貪っていたわけではありません。

 以下に、1988年以降の夏の大会の成績を記しておきました。

1988年 不明 一回戦 大船渡農 5-8 久慈高校
1989年 雫石 一回戦 大船渡農 5-6 盛岡北高(延長15回
1990年 盛岡 一回戦 大船渡農 21-2 岩手橘高(5回コールド)
      紫波 二回戦 大船渡農 14-1 大原商高(5回コールド)
      県営 三回戦 大船渡農 1-6 浄法寺高
1991年 県営 二回戦 大船渡農 12-7 大原商高(伊東入学)
      雫石 三回戦 大船渡農 2-5 水沢高校(4回雨天中止)
      雫石 再試合 大船渡農 3-10 水沢高校(7回コールド)
1992年 紫波 一回戦 大船渡農 10-3 千厩東高(8回コールド)
      県営 二回戦 大船渡農 2-10 一関一高(7回コールド)
1993年 花巻 一回戦 大船渡農 0-2 岩谷堂高(伊東3年)
1994年 紫波 一回戦 大船渡農 2-8 水沢一高
1995年 紫波 二回戦 大船渡農 1-6 花巻南高
1996年 紫波 二回戦 大船渡農 0-5 宮古北高
1997年 花巻 一回戦 大船渡農 8-9 花巻農高(延長11回)
1998年 滝沢 一回戦 大船渡農 6-11 前沢高校
1999年 花巻 一回戦 大船渡農 0-8 久慈工高(7回コールド)
2000年 雫石 一回戦 大船渡農 4-8 浄法寺高
2001年 花巻 一回戦 大船渡農 6-8 釜石北高
2002年 滝沢 一回戦 大船渡農 0-10 大野高校(5回コールド)
2003年 森山 二回戦 大船渡農 0-14 金ヶ崎高(5回コールド)
2004年 一関 一回戦 大船渡農 0-8 釜石商高(7回コールド)
2005年 一関 一回戦 大船渡農 0-14 盛岡工高(5回コールド)
2006年 一関 二回戦 大船渡農 2-21 一関学院(5回コールド)
2007年 森山 一回戦 大船渡農 ?-? 山田高校

 1994年以降、私は2003年度卒業生までは、直接彼らに関わっていた事もありましたし、それ以降も夏の大会には試合を見に行っていました。
 一番勝ちに近かったのは、97年でしょうか。8回終了時で3-7から一気に追いつき、延長10回にホームランが飛び出して勝ち越しも…総力戦の結果、普段練習していないポジションに選手を配置せざるを得ず、守りが乱れてサヨナラ敗退。98年も8回までは3-5も、エースの負傷を受け、登板していた正捕手が9回に打たれ、3-11に。しかし、彼らはあきらめずその裏に3点返しさらに満塁。4番の適時打が出ましたが、2人目の走者がホームタッチアウトでゲームセット。

 2000年も雨の中断でリズムを崩し、再開直後に4失点を食らい、01年も「この回だけリズムが狂った」5回の4失点で惜敗…。でも、それ以外の年だって、選手ひとりひとりの成長、という意味では見るべきものはあった試合ばかりです。
 大農野球部仲間…もう150人は超えたのでしょうか。
 「人間の成長の場所」として、リレーをつないできた大農野球部、という舞台も、残念ながら、今年で幕を閉じる事となってしまいました。

 7月13日 金ヶ崎森山運動公園野球場の第三試合。
 彼らは、積み上げてきた自分達の経験や思いを
 どうグラウンドに残す事ができるでしょうか。

 重要な政治戦の最中ですが
 その姿は見に行く予定でいます。

 思い切りやってきな。
 大農野球部。

 自分の積み上げたものを
 残していこう
 グラウンドにも 人の心にも。
 私は一生懸命生きる人を応援します。

 
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