MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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No190 5年ごしの「2点」…大農野球部は今年も怯まなかった。

 大船渡農 2-21 一関学院

 一番の成長を見せていた5番打者が、相手投手の速球に怯まず振りぬいたとき、2001年の9回以来、5年間・27イニング続いていた0行進が止まった。ただの相手ではない。エースこそ投げなかったものの、春のセンバツで甲子園に出た高校が相手。その瞬間、地元の一関学院を応援していた多くの一関球場の観客も、大農の選手に向けて拍手を送った-。

1)球前の章
 今年は、いろいろな事情があり、果たして試合を見にいけるのか、という状態でもあったが、16日の午前の用事がキャンセルになった事を受けて「大農野球部・最大の挑戦」を見に行く事に決めたのだ。
 大船渡を出発するとき、新聞を(無論いつものやつ)取りに事務所に寄ったとき、別に配達をする人と鉢合わせた。その人も、かつては高校、社会人と硬式のボールを握っていた人だ。無論、私の状況は分かっている。
 「それにしても、えらい所とあたりましたよ。」
 前にも書いたとおり、私自身もかつては第二シードや、翌年甲子園に出場する高校と試合をし、真正面からぶつかっては、木っ端微塵にされた経験を持つ…が、その年に、すでに甲子園に出ていた高校とぶつかるのは、さすがにはじめてだった。私が大農野球部と関わりを持った1991年以降では。
 「何言ってんだ。本来なら決勝まで行かなきゃ、あたらないカードなんだぜ。思い切りやって、一点でも取ればこっちの勝ちよ。伊東君は(学院に立ち向かう)後輩を応援しに行ってくるんだ。」

 こう励まされて、一関に向かって走り出した私伊東。開会式の中継で、各チームキャプテンの一言で見た大農キャプテンをみて「少なくとも、気後れはしていない」姿を思い出した。去年は、無安打を防ぐ意地のライト線ヒットを放った頼れる打者。一年のときから比べると、一年一年見る度にたくましさを増していった。大農野球部は、時に気合が空回りし、そこを突かれてダメージを負う、というパターンも見られたが、今年はその危険性も少ないだろうな、とか思いながら、車を西へ、西へと走らせていった。

 8時30分。思ったより早く、一関運動公園野球場に着いた。一日三試合だと、社会人野球では8時半開始、というケースも多い。今まで、いっぺんたりとも遅刻はしなかった私。「まずい、今年ははじめて見逃すシーン出てしまうか!」とか思いながら球場に走っていったが、看板には「第一試合(中略)9時」…。じゃ、いいや。サンドイッチでも食べていようと、車に引き返した。
 8時45分。「9時開始とか言っておいて、10分位早く始まるからな…」と、これまた社会人野球の「習慣」に影響された考えのもと、テテスコと球場に向かって駆けていく私伊東。球場は、既に七分の入りになっていた。一関球場は、観客席の傾斜が岩手県営や、花巻といった球場に比べると少しキツイように思える。ちょびっと圧倒された。

2)序盤の攻防
 「実力で結果が出るならいいけど、雰囲気に呑まれて…ってのは無しにしてくれよ」
 とか思いながら、時計は9時を指そうとしていた。両側のベンチから一関学院20人、大船渡農11人の野球部員が、ホームベース両脇に駆けてきた。プロ野球以外では、いつもの光景だ。
 一関学院は、エース・大田投手を温存。4番の寺川選手もスタメンには入っていなかったが、あとのレギュラー選手はスタメンに載っていた。いくらレベル的には…の所が相手だからって、勝てば、次の試合は盛岡中央が出てくる。この後のたたかいの事を考えると、手加減、というわけには行かなかった。

 初回、大農はあっさり0に終わる。その裏、大農のエースは、ストライクとボールがハッキリしてしまい(打者にとっては見分けやすい)学院主将の中村選手にあっと言う間にレフト横の二塁打を打たれると、犠打の処理失敗、四球の後「背番号20の四番打者」山根選手にあっさり先制タイムリーを許してしまった。その後もタイムリー3本にショートの声かけに反応してしまったボークで点を失い、初回にして0-8という差をつけられてしまった。

 2回こそ、1点に抑えたものの、三回にはまたも打者10人の猛攻で6点を失った。だが、ここで大農エースは、大量失点の要素となる「四死球」はダメだ、という組み立ての投球をしていたように見えた。3回までで3四死球、2エラーこそはしていたが、それ以上に13安打が効いていた。それでも、自分の出来ることはしようと必死になっていたバッテリー。序盤は不安視されていた外野守備も、出来る事から…で頑張りを見せ、余分な失点は防いでいた。
 だが、打線は背番号10・里舘投手の術中にはまり、塁に出ることさえ出来ない。まずい。

3)5年ぶりの得点
 4回。学院は投手を背番号18の鈴木投手に代えてきた。大田投手一人では勝ち抜くことが難しい。誰か一人ではなく、チーム総力でたたかいに来た学院。スピードは、里舘投手よりも早く見えた。だが、この二人の背番号の差が何であるか、すぐに目の当たりにする事になった。
 3回までで82球投げていた大農エース。彼はやや浮いた球をぶったたいた!打球は…前がかりになっていた学院のライトを越えていった!二塁打!さらに続く一年生ショートのたたいた打球はファーストへ…ところが、堅守を誇るはずの学院がまさかのトンネル!ノーアウト一、三塁とした。

 「打順はクリンアップ…3年のお前らで決めろ!」
 3番の捕手…この選手も、入学時を思えば体格も、技術もかなり上がった…は、粘った上で進塁打を放ち、そして、4番のキャプテン。総合的に、一番頼れる選手だ。相手投手は、予想外の事態でストライクが入らず0-3。だが、これがある意味で、キャプテンの打撃の手を縛ってしまった。私はそう思った。その後の3球。ストライクを見逃し続けてしまった。
 三振…。彼の心境は、いかばかりか。続く打者は、一年ぶりに会ってみたら、体格が一回り大きくなっていた二年生・左打ちのファースト。初球ファールの後…鈴木投手の渾身の一球を振り抜いた!

 打球は…ライト前に落ちた!ランナー二人が返って2点!
 やったぞ!01年9回表に、当時の三年捕手が2点タイムリーを放って以来の得点だ!
 それから4年。やってきた努力の割には、報われない結果を続けてきた大農野球部だけど…ついに点を入れた!しかも甲子園出場チームからだ!
 球場中はどよめいた。今年の夏の大会の各地の結果を見ていて、大体15点差をつけられるほどの実力差があったら、点を取ることさえ難しい。だが、彼らはそれを跳ね除けた。ぶつかり続けた結果、一関学院から点をもぎ取ったのだ!

4)こいつに回したかったんだ
 4回裏には6安打を集中され6点を失った。やはり、学院は頭に来ただろう。次の試合のこと考えれば0で抑えて当たり前のゲーム、というのを目標にしていただろうから。
 そして、19点差をつけられたままの5回表。この回には、スタメンに入っていなかったもう一人の三年生に打順が回ってきた。一年の時には5番を打っていた実力者。だが、最後の夏を控え、新聞紹介では彼は控えとしての扱いになっていた。野球センスは相応にあるはずだ。いまは直接関わっていない私が、ああだこうだ言うのは禁物だが、そういう風になる何かがあったのだろう。
 だが、彼は腐らなかった。ベンチにいても、グラウンドに出ても、声をかけ続けた。4回の大農の「猛攻」。それは、なんとしても彼に打席を回すんだ、というメンバーの強い意思が生んだものだ、と私は信じたい。

 だが、彼も2-2からの5球目を空振り、三振。9番打者も三振に倒れた。ゲームセット。

 2006年。今年も大船渡農業高校の夏は、一試合しか経験することが出来ず、幕を閉じた。

5)球後の章-新イニング「これからの人生」
 今年も、わずか一試合の大農の夏は終わった。何のかのやる事もあり、私は試合終了10分後には、車上の人となっていた。考えてみれば、自分自身が卒業して13年。よく見に行くよ、と思いながら自分自身に呆れていた。
 文中で、この日の試合の得点は5年ぶりと書いた。だが、その間のメンバーが怠け者だった、という事は決してない。ある年はメンバーはそろったものの、相手投手がすごく無安打無得点をくらったり、ここ2年は、選手は9人ギリギリでのたたかいを強いられた。もはや、私の体調では、彼らの助けになる事は出来ない。私に出来るただ一つの行為は、こうして下手くそな一文を書いて、彼らの頑張りをたたえる事。それだけだ。

 試合をやる以上は勝利を目指す。そんな事は当たり前の事だ。ルールブックの最初を見てほしい。目次以外で。
 だが、どういう過程を経て、勝利に近づくのか。スタートラインも違ければ、大農野球部にたどり着くまでの道程だって、全然違う。だが、そういう個々の人間が、一つの集団となって、同じ目標に向かって走っていった。多感な時期だから、誘惑やら何やらあって当たり前だ。だが、それに対してどう自制して行動するか。

 昔、北上球友にいた頃、同じ農業高校出身ということで、親しくさせていただいた先輩がいたが、その寡黙なエースは、私にこう言っていた。
 「どうしても、俺らみたいな高校の選手ってよ、自分は頑張ろうと思っても、周りから『どうせダメだろ』って雰囲気にされて、その雰囲気に流される選手ってのも多かったんだよな。」
 その人は多くは語らなかったが、それを見ているだけだったというのは辛かった事だろう。それでも、その人がエースだった年は、残ったメンバーが頑張り、最後の夏は、強豪校に一歩も引かず立ち向かい、コールドが当たり前のチームが途中まで接戦を演じた(結果K農1-5H商)。

 S君、I君、M君、K君。ずいぶんと色々な事もあっただろうけど、どうだった、大農野球部。多感な時期の居場所にはなれただろうか。何年か後、そこで頑張りぬいた、という事が「心の肥し」になる事だろう。試合の結果はこうなったけど、この後の人生を堂々と生き抜いてほしい。

 現状大農野球部OBで、一番「すべっている」男からのささやかな願いです。

 今日は、かなりの長文となりました。強い所、かっこいい所を見るのもいいけども、一回戦で負けているチームにも、それぞれ重いものをしょっている事を分かっていただけたら、幸いです。拙文読んでいただいてありがとうございました。

                    三年間二桁番号選手 伊東  勉 


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