MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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1997社会人野球-大船渡帰郷など、人生の転機の中過ごした佐藤組北上球友最後のシーズン。

 社会人野球3度目のシーズンは、新設された北上市長旗争奪岩手内陸社会人クラブ野球大会から始まりました。2018年時点では10月に行われている大会ですが、第1回からしばらくは4月に行われ、佐藤組北上球友は平泉クラブに8対10で敗れてのスタートとなりました。

 その後5月中旬に行われた都市対抗野球県クラブ予選は、会場が葛巻など県北地区での試合となったため、夜勤の仕事もある私は不参加。北上球友は二回戦で遠野クラブに12−5、代表決定戦では地元の九戸クラブに10−3で勝ち2年ぶりの本予選進出(下記トーナメント表は都市対抗岩手予選パンフより)。5月30日から始まった県本予選大会、夜勤明けすぐに新幹線に飛び乗って盛岡に。県営球場の開幕ゲームとなる佐藤組北上球友-秩父小野田との試合に臨みました。

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 前年の不調を払拭しようと気合いの入る秩父小野田に対し、北上球友も新人あるいは復帰選手が揃ってベストで挑みました。ところが試合が始まってみると秩父小野田の技量が勝り、エース左腕の高橋剛さん、右の速球派の伊藤芳道さん、企業チーム在籍時代には野茂英雄投手と共に代表合宿に参加したこともあるという大柄な左腕投手泉敏さんと継投しましたが、差をつけられる一方。小野田応援団に負けじと私もささやかながら応援を実施し、見知らぬ夫婦の方に判官贔屓から協力していただきましたが、終わってみれば7回コールド0-15で敗戦と相成りました。

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 7月に行われたクラブ野球選手権。私は所用で東京に10日間滞在したあと、帰郷してすぐ会場に向かい、盛友クラブとの対戦に臨みましたが、終盤に逆襲を食らい5対8で初戦敗退。この年は高田松原第一球場など気仙地区が会場に。北上球友は敗れましたが、最終日までいるつもりで予定を取り、大船渡の実家に泊まっている人間としては後は狸寝入りというわけにも行きません。残りの日程をできるだけ見て行くことにしました。その対象は故郷大船渡市・赤崎野球クラブ。

 準々決勝ではオール江刺の本格派左腕・藤村淳生投手との接戦をくぐり抜け8-7で勝利。一回戦は北上ベースボール倶楽部、二回戦は強豪の一角一関三星倶楽部を破っていての3勝を自信に準決勝に進出しましたが、相手はこれまで何度も壁となっていた釜石野球団。

 行われた会場が一般的な球場よりも狭い高田松原第二球場で、試合開始早々釜石野球団の打者5人のうち4人にホームランを浴び、しかも4本目のホームランは最短距離でレフトポールにすこんと当たってしまい、あまりもの状態に普段は穏やかな赤崎の先発投手がブチ切れてしまう一抹もありました。それでも最後まで諦めずに反撃しましたが5-10で敗れ、西武球場進出まであと2勝及びませんでした。

 この後祖母の不調で大船渡に帰郷せざるを得なくなった私。7月、8月と引っ越しなど準備でわたわたとしていたので、この間行われた日本選手権岩手予選や毎日旗岩手予選の試合に関わることができませんでした。(日本選手権・佐藤組北上球友は一関三星倶に10-6、アイワ岩手に3-13)その翌週に行われた毎日旗秋季大会、江釣子球場で行われた試合の時に退部の挨拶をしに行きました。及川洋治監督以下メンバーには労いの言葉をかけられ佐藤組北上球友を後にします。

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北上球友時代練習場所にもなった北上市江釣子球場。

 なお岩手県勢の活躍に触れますと…都市対抗東北予選にはJAいわて、水沢駒形が第三代表争いまで激しく食い込むもあと二歩(JA)三歩(駒形)届かず、日本選手権では宮城建設、JA、秩父小野田ともに初戦で敗退。クラブ野球選手権で全国に初出場した久慈クラブは後に平成の王者とも呼ばれる大和高田クラブと対戦。激しい打撃戦となりましたが、6回に奪われた5点が響いてしまい、9−11で敗れてしまいます。春にはJR盛岡の「復活」という明るい材料も。故郷に戻った私は新しい道で再び社会人野球に挑むこととなります。

1996社会人野球-故郷赤崎クとの対戦、あと一回からの逆襲…転職を経ながら臨んだシーズンとなりました。

 前年シーズン後に病気を発症させてしまい、2年間いたガソリンスタンドを辞めざるを得なくなってしまいました。その関係もあり、佐藤組北上球友も選手登録を外し、未登録のチームスタッフとしてチームを支えていくことにしました。

 この年最初に行われた大会は都市対抗野球。5月15日に江刺運動公園で行われた県クラブ予選二回戦の対戦相手は奇しくも故郷・赤崎野球クラブ。北上球友は秋田経法大で活躍した千葉公一郎さん、専修大北上高軟式チームのエースとなっていた金濱潤君が加入し、初戦突破を目指します。

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会場となった江刺運動公園野球場(撮影は10年9月)

 試合は予想通りの接戦となります。北上球友の先発は速球派の伊藤芳道さん、赤崎クもエースの高橋俊裕さん。北上球友はこの年JAいわてから移籍した及川義彦さん、キャッチャーの小菅義美さんの本塁打で赤崎クの3投手を攻略。伊藤さんも速球がさえ5-0で勝利することができました。試合が終わった後、突き刺さるような視線が束になって私に向けられていたのは言うまでもありません。19年後には逆の立ち位置で視線が束になって向けられることとなります。こんなんばかりで。

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左は本塁打を放った小菅さん…の20年後。右は先発した高橋さんの21年後。今なお健在なのは恐れ入ります。

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宮高倶楽部と試合した江刺市民球場(当時)。以降、JABA大会では12年クラブカップ岩手大会で使用しました。

 5月16日。会場は同じ江刺市でも根岸球場。前日の雨天から一転、晴れた天気ではありましたが、北上球友は長距離打者が多く欠場し、4番には本来投手(当時)の及川球士君を据えての戦いとなりました。相手の宮高倶楽部(いまの宮古倶楽部。ユニフォームは変わっていません)も本予選進出常連チーム。右サイドの石田、左上手の吉浜と左右の強力なエースがいて手強い相手でしたが、北上球友は8回までに6点を挙げ県本予選大会進出まであと1イニングと迫りました。

 しかし野球は終わってみなければわからないもので、9回、エラーからリズムが乱れ5点差があっという間に消え、連投となった伊藤芳道さんの力投むなしく本予選進出を宮高倶楽部に持っていかれてしまいました。

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 約10日後に行われた県本予選大会でも番狂わせは続出し、二回戦では近年3年で2回西武球場に行っている釜石野球団が久慈クラブに、前年復活し快進撃を見せたJAいわてがアイワ岩手に、また上位常連の秩父小野田は宮城建設との試合、最終回あわや逆転というシーンで打球のきわどい判定で試合終了。コールが告げられても秩父小野田の選手の激しい抗議の姿があったのを覚えています。このように序盤戦で予想外、あるいはつぶし合いの展開があり、終わってみれば宮城建設が初優勝、アイワ岩手と水沢駒形が東北予選初進出という結果になりました。

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 7月に行われたクラブ野球選手権。佐藤組北上球友は他の大会の影響で約10人が出場できない状態に。都市対抗で破れた宮高倶楽部にリベンジを誓いましたが、2−6で敗戦。8月に行われた毎日旗秋季大会も盛岡倶楽部に8−10で敗れ(この試合には帯同できず)、この年のシーズンを終えました。

 この年の岩手県勢の活躍を見てみると、都市対抗東北予選では水沢駒形が山形しあわせ銀行(いまのきらやか銀行)に1勝したのみで早期敗退。クラブ選手権では本大会に進出した水沢駒形が、大会直前に食あたりのアクシデントがありながら全太田倶、札幌倶楽部、WIENベースボールを破り決勝進出。鹿島レインボーズには惜しくも及ばなかったものの、新田、小野寺、小岩、菊池各投手の奮闘で全国準優勝を果たしました。日本選手権はJAいわてが都市対抗のリベンジとばかりに優勝。宮城建設、水沢駒形と3チームで東北大会に挑み、JAいわてがJTとの代表決定戦に挑みましたが、序盤の失点を覆せず3年ぶりの本大会進出はなりませんでした。

 その他のトピックスで言いますと…5月に行われた県知事春季大会・久慈クラブ対岩手東芝の試合で37-3という試合を見ました。殊に、7回のイニング28点は仰天。打者4巡の攻撃を受けていた岩手東芝ベンチは誰も一言も発することができない状態に陥っていました。途中までは接戦だったのですが…。

 この年から私はコンビニエンスストアの夜勤で働くことになりました。選手登録を外れたのもそういう事情からです。この時期は社会人野球の他にも母校大船渡農業高校のアドバイザーもしていたので、合間を見計らってはスクーターで大船渡に行って後輩の練習を手伝いました。最も手伝いになったかどうかは不安なところですが…。年始めに2ヶ月療養していたこともあり、野球に関わる密度が一番少なかった一年でした。次号は「激動の97年」を記していきます。

社会人野球2018―18年5月開催JABA東北大会&18年7月開催都市対抗雑感/18年9月開催毎日旗秋季大会補充。

 2018年中に書けなかった社会人野球の記事をお伝えしています。なお毎日旗秋季大会の1日目5試合については該当するブログ記事に補強して記しましたので下記リンクよりご覧ください。記事はJABAホームページ(jaba.or.jp)を基に記します。記事中敬称略。

benitoh96-bb.hatenablog.com

 この項では主にトヨタ自動車東日本のJABA東北大会、都市対抗野球七十七銀行の試合をお伝えします。トヨタに関しては以前雑感として記しまして、時々のツイートを時系列に追う形で改めて掲載をしようとしましたが、アカウントが完全に消えていたのを失念。なので書けるところから書くことにします。

△5月に行われたJABA東北大会。トヨタ東日本はJR東北、JXENEOS、室蘭シャークスと同じ組に入り予選リーグ3試合を戦いました

◆JR東北 8−6 トヨタ自動車東日本 

◆JX ENEOS 8−1 トヨタ自東

室蘭シャークス 4−3 トヨタ自東

 JR東北との試合、序盤順当に点を重ねたのはトヨタ。7回までに関口のホームランなどで6得点をあげますが、終盤8回JR東北に5失点をくらい逆転で星を落としました。第2試合は全国区の強豪ENEOSと対戦。2回に1点を先制しますがENEOSが5回以降佐々木、吉橋、山崎の3人を攻略。8回に大量4点を失い8回コールドで敗戦。室蘭シャークスとの試合では中里、吉橋両投手が奮闘しますが、3、5回に2点ずつを失い、トヨタは6回までに3点を返しますが、鈴木、瀬川という北海道を代表する投手を打ち崩せませんでした。

 こうして予選リーグ3敗で終わったトヨタ自東のJABA東北大会でしたが、その戦いから学んで都市対抗野球本大会出場に結びつけたのは今さら私が言うことではないですね。


 都市対抗本大会、7月17日に七十七銀行トヨタ自動車東日本と東北代表が登場。これまで拙稿で触れてこなかった七十七銀行の試合…初回に長谷川のタイムリーヒットで1点を先制しますが、その裏に先発のマウンドに立った鈴木貴也が調子振るわず初回でノックアウト。以降は日本製紙石巻から補強された塚本→左腕田辺→TDKから補強された150キロ小木田が踏ん張りますが、七十七銀行も守安玲緒→藤井と言った好投手を打ち崩せず、1−6で敗れました。

 七十七銀行に勝った三菱重工神戸・高砂が守安、藤井両投手が鉄壁とも言える投球で相手に失点すら許さず勝ち上がりましたが、その決勝戦では大阪ガスに終盤8回に2点を失い優勝にはあと一歩届かず。大阪ガスは一時期チーム全体に関わる大変な問題があり苦難の時期もありましたが、それを乗り越えて三度目の正直の全国優勝を果たしました。

 拙稿では都市対抗本大会の記述が薄くて、その場で戦われている皆様には申し訳ございませんが、なにぶん高校野球とも重なり二つの物事を同時にしようとするには私の技量が足りません。その部分はどうかどうかご了承お願いします。

 この記事を書いている2月9日にはJABAのホームページで東京スポニチ大会の組み合わせ表が掲載されています。2019年もどういう足跡を残すか期待をしていきましょう。長文お付き合いいただきましてありがとうございました。

社会人野球2018―日本選手権注目3チーム(JR東北、大和高田ク、宮崎梅田学園)結果と雑感。

 既に2019年はじまって一ヶ月経っていますが、引き続き2018年の社会人野球の記事で書ききれなかった部分を記しています。3月までになんとかできればいいですね(冷汗)。岩手県関係の毎日機秋季大会一日目(記事は書いたが詳報がまだ)、JABA東北大会のトヨタ自動車東日本試合分は別に補強して記します。記事はJABAホームページ(jaba.or.jp)を基に記します。

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 社会人野球単独チーム日本一を決める第44回社会人野球日本選手権は32チームが集まり昨年11月に開催されました。この中で東北から出場のJR東北、クラブチームから出場した大和高田ク、宮崎県から全国大会初出場の宮崎梅田学園の3チームをピックアップしてお伝えします。

◆JR東北 7−1 JX−ENEOS

 強敵ENEOSと対戦したJRはエース西村が先発。3回に1点を取られこそしたが好投を見せ試合を作ると、JRは8回に2点、9回に大量5点をあげ逆転。最後は7回から登板した右腕加藤がENEOS打線の追い上げを封じた。ENEOSは3回に先制したものの好投していた大場が8回につかまり、9回はよもやの5失点で初戦敗退とあいなった。

三菱重工名古屋 2−1 JR東北

 一回戦勝利の勢いをつなげたいJR東北は、前試合好リリーフを見せた加藤が先発。しかし三菱名古屋は3回に2点を先制すると、以降勝野、西納がJR東北に隙を与えず逃げ切った。JR東北は途中出場の安田が2安打を放ち、8回に一点を返したがあと一歩届かなかった。

◆大和高田ク 1−0 JR四国

 大和高田は松林、JR四国は岡田の先発で始まった試合。両者の投げ合いはスコアボードに0が並ぶ投手戦となったが、均衡を破ったのは大和高田。7回村上の適時打で1点をあげると、山本→米倉→吉田とつなぎJR四国打線を完封。JR四国の岡田は10奪三振を奪ったが打線が援護できず無念の初戦敗退。

新日鐵住金広畑 4−1 大和高田ク

 都市対抗の近畿予選でも当たるカード、手の内を知ってるだけに先手を取ってペースを掴みたかった大和高田だが、逆に広畑に先制をくらう。6回に山本柊のタイムリーヒットで1点は返すが、8回にダメ押しをくらいベスト8進出はならなかった。新日鉄広畑は投手陣が好投しベスト8進出。

◆JFE西日本 6−0 宮崎梅田学園

 念願の初出場となった宮崎梅田学園だったが、長く全国の舞台で戦い慣れているJFE西日本が洗礼を浴びせる。2回に1点を先制すると3回階には大量5点で梅田学園の古市以下投手陣を攻略。梅田学園は何とか活路を見出そうとしたがJFE投手陣にヒット3本、13奪三振をくらい得点を奪えず、梅田投手陣も4回以降はJFE打線を封じたが勝負を覆すに至らず苦い全国デビューとなった。

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 大会はJR東北に勝った三菱重工名古屋と梅田学園に勝ったJFE西日本が勝ち上がり決勝進出。その決勝では2−1で三菱重工名古屋が勝ち初優勝を決めました。

 近年都市対抗では不遇な成績が続いているJR東北ですが、日本選手権では見せ場を作りました。勢いを来年の都市対抗に繋げたいところです。大和高田は普段から近畿でトップレベルのチームと相対していることもありますが、両試合とも接戦に持っていけるところはさすがです。

 そして宮崎梅田学園。宮崎の社会人野球は長いことチーム自体がない状態が続いていました。1950年代にオール宮崎、宮崎鉄道局などがチームを結成し、一度どちらかが九州代表決定戦にまで進出しましたが本大会出場はならず。1960年代以降は参加チームがなくなり長いこと時間が経ちました。その後2005年に茨城ゴールデンゴールズと親善試合をしたチームが宮崎ゴールデンゴールズとして結成(今年はじめに休部したのが残念ですが…)。その後宮崎梅田学園がつくられ、今では宮崎県で4チーム結成するに至っています。一回歴史を途切れさせるとその再興は難しいもの。それを地道に成し遂げ、また伸ばしていった宮崎県の野球部関係者の皆様の努力が一つの形に結びついたと思います。これからの健闘を願います。

 明日は岩手県関連の記して来れなかった記事をお伝えします。

記事制作日記−気がついたらけっこうな基礎資料をつくってしまってました/18年書き残しは2月までに。

 今日は。金曜、土曜と必要最小限の用事以外は体調調整にあてています。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 12月に野球の資料調べで青森行こうと企図しましたが、実際の行動するにも、また下調べも足りない部分が多く、中止にしました。それから約2ヶ月、近隣の図書館に通いつめて下調べをずっと続け、ようやく当面必要な部分の基礎資料ができあがりました。あとはこれをどう実施していくか。頭悩ますのは印刷方法。原紙でコピー機使用だと一枚10円ですが体力が削られます。一方マイクロフィルムだと手軽でいいですが印刷代は40円/枚。古い新聞はマイクロフィルムしかないことを想定して、大体100枚くらいに収まるようにしようと考えていますが、その「選定」、頭悩ましますね。ま、足りない脳みそで何かいい方法ないか追求していきます。

 この2ヶ月でつくりだめした「基礎資料」は以下の通り。

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 ちなみに、明日明後日は2018年社会人野球の未記載記事を、あと10日以内に「伊東版社会人野球の足跡」の一部−文は完成している96〜01年−をアップできるように努めます。

 おつきあいいただきありがとうございました。

2005年記述の野球記事−オリンピック競技から野球・ソフトボール落選。現時点の国際野球は?

※該当記事は2005年7月時点での伊東認識を基に記述したものです。歴史的文献としてご覧ください。

 

 見事なまでに五輪から外されてしまいましたね。野球とソフト。確かに、財政上で痛手をくうところは多いだろう−殊に予算の多くをオリンピック関係の箇所に頼る「野球発展途上国」のダメージははかりしれないが、野球そのものはなくならないわけで、野球を広める手はナンボでもあるわけです。各種大会の記事を見ての伊東の推測ですが、各大陸の状況を見てみると…

▽アジア

 プロリーグを持っている日本、韓国、台湾がトップ。近年プロ組織を作った中国、東南アジアの盟主的存在フィリピンが続き、日本人指導者が助力したタイ、近年大会参加が増えているパキスタンインドネシアが更に追いかける。インド、ミャンマー、モンゴル、シンガポールベトナムは、生活できる余裕ができれば、野球人口増える余地あり。

アメリカ大陸

 アメリカ、キューバのトップ争いが激しい。MLBに選手を送り込むドミニカ共和国ニカラグアベネズエラは代表枠が広がれば…。カナダ、メキシコ、ブラジル、ペルー、グアテマラと続くか。キューバは育成システムがしっかりしているのが強み。カナダは国内リーグがコケたのが痛い。南アメリカは日系の多いブラジル除いては軒並み苦戦か。

▽ヨーロッパ

 しっかりしたリーグを持っているオランダ、イタリアのトップ争いを五輪経験のスペイン、日本人指導者も関わったフランス、W杯に出場したロシア、五輪の一過性に終らなければギリシャ、ほかに、ドイツ、ノルウェー、スゥエーデン等でやっている人はいます。オランダは中南米に統治領を持っているのが強み。イタリアは、年60試合の「セリエA」があります。後も各国なりの強化策を持っていますが、まだ歴史が浅い。イギリスは半世紀前強かった時期がありましたが現在は沈黙を保っています。

▽アフリカ大陸

 南アフリカ→ナイジェリア→ガーナ→ウガンダレソトジンバブエが五輪予選参加経験あり。継続的な野球への取り組みが見えるのは南アフリカぐらい。アメリカの援助を受け、ガーナは日本の元プロのアドバイスを受ける。未知数という意味で一番面白い。

オセアニア

 オーストラリアがトップも二番手はグアムとか、トンガとか。オーストラリアでさえ、野球をするのに苦労しているのが現況。ニュージーランドソフトボールとの「兼任」が響いて野球に専念できない事情があります。

 やはり、野球している地域は一握りだけど、発展の余地はあることを示していく必要があります。

 

2005年07月14日午後

 

 午前中に世界各地の野球に触れましたが、アフリカに関しては大分感覚がずれていたようです。改めて文を再構成します。

 アフリカで、野球を主にやっているのは南アフリカ、ナイジェリア、ジンバブエ、ガーナ、レント、ウガンダカメルーンコートジボアールトーゴケニアアテネオリンピック予選には上にあげた名前のうちカメルーンまでがエントリー、他三国はまだ準備が整わなかったものと思われます。

 ところが大会前にカメルーンとガーナも不参加。カメルーンはともかくガーナが不参加なのが意外。シドニー五輪予選の時は、高橋慶彦さんはじめ日本の野球関係者の援助を受け、大国二つを相手に存在感示したガーナですが、スポーツ施策が変わったら「野球知らない」とばかりに冷遇されたようです。

 代わりに成長を見せたのがウガンダ。彼等は日本のプロジェクトを受けながら、ジリジリと実力をつけ、かつては30点差で負けていた相手にも差を詰める成長ぶりを見せました。レント、ジンバブエも同様の健闘を見せつつあります。一方でトップグループのナイジェリア、南アフリカに、伸びがないのが気にかかるいうレポートも。ナイジェリアは南アフリカに詰めきれず、南アフリカも、オーストラリアなど五輪代表決定戦では勝ちきれない現状を変えられていない、と。ある程度のレベルアッには成功するものの、それ以上となると、やはり先進国の助力が要ります。

 前号で「五輪除外で特に予算で打撃受けるだろうと記しましたが、これらの国がまさにそうでしょう。こういう時、力にならなければならないのが日本、アメリカといった大国と呼ばれる国。野球の裾野を広げるのに「投資」してもらえませんでしょうか。

 もちろん、当事者の努力も必要です。どことは言わないが「協会」だけあって、チーム数も実態あっているのか(競技者人口の報告欄がチーム数×10…)実績の見えない協会、ざらあります。スポーツ予算分取りだけの「野球協会」は必要ない。事情の分かった人から立ち上がらないと。五輪復帰どころが衰退に追い込まれたんじゃ話になりませんよ。そこ踏まえて頑張りましょう。

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(ここからは19年2月記述)この記事を書いた媒体がなくなってしまったので、紙に印刷していたのを基に、あまりにひどい書き方だった部分は修正してこの通り再掲しました。オリンピッで競技からはずされていこう、どう取り組まれていたのか知りたいところですが、情報をうまく得ることができません。南アフリカワールドベースボールクラシック一次予選など継続的に国際大会に参加していますが、他の国の動きが見えないことに複雑な思いをもちます。

 社会人野球の調べもので毎日新聞縮刷版を繰っていますが、1980年8月13日の世界アマ野球特集記事に野球連盟の加盟国としてリビア、エジプト、アンゴラザンビアジンバブエ南アフリカの6ヶ国が掲載されていました。リビア、エジプトは近年の実績が見えないのどうなっているか…ですが、西部、南部アフリカ地区での取り組みは見えるので、なんとかそれを続けていただきたい、と願うものです。長文になりましたがおつきあいいただきありがとうございました。

調べもの途中経過。字は小さいが情報量はあったかつての新聞/1956、57年の大船渡クラブの活動も不意に見つける。

 今日は。今日も家事して仕事して図書館行って生協で来た品物の仕分けして…あっという間に日付が変わっていました。野球の調べものの範囲は1950年代に突入。このころになると毎日新聞縮刷版も歴史を感じさせるキズ汚れも出てきて、壊さないようにと気を使いながらページを繰っています。北上図書館には1950年からの縮刷版がありますが、このあたりの時期は新聞のページ数は少なく、文字が小さくなるか、都道府県単位の予選結果は記載がないか、のどっちかになっていきます。

 ページ欄見ているとプロ野球パリーグに「ダイエー」ならぬ「大映」があったり。実業団バスケが一般紙で個人スコア有りで載っていたのには驚きました。今のBリーグでもないですよ、個人成績テーブルなんて。順番がF(フォワード)、C(センター)、G(ガード)の順番になっていましたが。サッカーはいまのDF、MF、FWではなくFB(フルバック)、HB(ハーフバック)、FW。意外と昔の方が記事濃いかも。

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 調べものを進めていったらひとつ、自分が把握していなかった記述がありまして。ええ、今回の写真ですよ。今回の写真は岩手県野球連盟の記録誌で出しましたが、新聞に「福岡高ク-大船渡ク」…。見落としていました。認識していませんでした。高田クラブが1955年に、小野田セメント(現太平洋セメント)が1957年に結成していたのは知っていましたし、1971年の大船渡クの活動は認識していましたが、この時期に2年間、足跡があったのには心底驚きました。いま書きかけていた記事がありますが、それを踏まえて書き直します。下写真は今回の件を踏まえた「気仙地区硬式社会人野球の系譜」の図表を載せました。クリックするともう少し見やすくなります。

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 今回はブログと共通の「記事制作日誌」となりましたがこういう一つ一つの積み重ねで「してきたことの証明」をしていきたい。大谷翔平君みたいに160キロ投げたり150メートル飛ばしたり190センチの身長から英語話すことはできませんが、その部分で頑張りたいと思います。

 おたく的とも言える話につき合わせていただきまして、本当にありがとうございます。社会活動では夏の参院選に向けて宿題たくさんあるし、他にも色々、と。大基本として無事に完走することは強く意識していきます。皆さんもインフルやら滑る道路とか、寒暖の差、気をつけてくださいね。
 あ、前回記事で触れた「伊東の社会人野球史」。写真を今月分の容量いっぱいまで使ってしまったので制作ができません。来月前半に記載できれば、と思います。

先週の記事集中投稿について―記事製作日誌

 今日は。先週は「岩手県社会人野球回顧」を2記事、クラブ野球選手権本大会を3記事書いてきました。年が明けてとっくに2019年になっていますが、書き残しがいくつかあるので、それは2月までになんとか書ききりたいです。

 ただ、難儀している部分も。「〜回顧」の写真、ホントならこれまで出していなかったオリジナル写真で載せたかったのですが、昨年秋から写真データが不安定になってしまい、それが波及するのが怖いので現在写真つきの記事製作を控えています。いま着々とつくっている「1994〜2004年までの社会人野球」も文章は96〜01年までつくりましたが、同様の理由で作業停滞中。いましばらくお待ちいただきます。

 例年、社会人野球シーズン開始となる4月下旬まで記事あまり書かないできましたが、今回はある程度のまとめ記事を用意しますので、二週間のうち1サイクルで記事書ければ、と考えています。当面の目標は

・1月中に「1994年〜2004年社会人野球を振り返る」。文面は95年、02〜04年、95〜97年赤崎ク編(当時は伊東所属が佐藤組北上球友のため記述補充)未完成。98、03年一部試合以外はイメージ写真として10年以降の風景的画像使います。

・2月中に2018年高校野球。「大船渡東編」「大船渡編」「高田編」「住田、宮水山田連合編」「岩泉、北上翔南編」で編成しようと考えています。

・3月は大船渡に一度、場所未定に一度遠出するのでそれを踏まえながら2018年社会人野球記事の書き残し、地域リーグサッカーの記述を図ります。

・いつ、というのを考えていませんが平成期が過ぎることを記念して1989年(元年)、1997年(9年)、2002年(14年)、2007年(19年)2018年(30年)の参加チームデータを基に社会人野球参加チーム一覧製作を目指しますが、完成しきらなかったらすみません。

・他に「青森県山形県社会人野球の記録」もつくりはじめます。いま基礎資料を北上図書館に通い制作中。

 昨年は10、11月に喉のアレルギーに難儀しました。三十代時の不摂生に関する影響はとれつつありますが、そもそも脆い体であることは変わらず無事に生きるというだけで精一杯です。その中で記事製作進めていければと思います。いつもおつきあいいただきありがとうございます。

2018社会人野球 大和高田が逆転優勝!北広島は箕島に善戦。足利は1点に泣く―クラブ野球選手権4日目の結果。

 今日は。18年9月に行われたクラブ野球選手権本大会4日目の試合結果をお伝えいたします。年越しての記述で申し訳ありませんが、最終日の結果は記すところまで持ってきました。スカパーBSのJーSPORTSでも中継された3試合の結果は以下の通りです。

◆和歌山箕島 1−0 ウイン北広島

 過去2年優勝の箕島に北海道の底力を発揮せんと臨んだ北広島。先発のエース吉田は三回に1点を失ったが、それ以外は強力な圧力をはね除け完投。打線も機はつくったが、経験豊富な寺岡に完封をくらった。箕島は接戦制し決勝進出。

◆大和高田ク 2−1 全足利クラブ

 「平成」期で一番激しく(推測)渡り合った両チーム。この試合も高いレベルでのつばぜり合い。大和高田は四回に先制するも、足利が八回に同点。このままタイブレークかとも思われたが、大和高田が九回にサヨナラ勝ち。足利は惜しくも決勝進出を阻まれた。

◆大和高田ク 9−7 和歌山箕島

 近畿の強豪で争われたクラブ王者決定戦、先に大きくペースを握ったのは二回に5点奪った箕島。しかし大和高田は三回に2点を返すと八回までに同点に追いつき延長タイブレークに。先攻の大和高田が今大会不振をかこっていた竹島本塁打でリードすると、箕島の反撃を1点に抑え、クラブ王者の座を取り返した。

 ―という結果を経て大和高田クラブが近畿対決を制し、2011年以来の優勝を決めました。表彰選手は次の3選手です。なお敬称は略します。

 竹島貫太(大和高田ク、最高殊勲選手賞)

 和田拓也(和歌山箕島、敢闘賞)

 岩永幸大(大和高田ク、首位打者賞)

 大会終わって感じたのは近畿勢の強さ。大和高田、箕島ともに都市対抗の近畿予選でも企業チームに負けない力を維持しているのが、クラブの大会でも抜けた力を持つ元となっています。決勝戦のテレビ中継は第2試合後半から第3試合の序盤まで見ていましたが、その序盤で箕島が5点を取った時に「ここ5年で2度優勝している箕島が一気にペースを持っていくか」と思い、仕事に出た後(別にそれは関係ねえ)後刻JABAのHPを見たら大和高田が徐々に追い上げて同点に→延長タイブレーク竹島選手が3点本塁打を放ち一気に優勝まで駆け上った、という経過を目にしました。報道によると、竹島選手はこの大会不調でこの本塁打が初のヒットだったとか。この勝負根性はすごいなと思わされました。

 ベスト4に残った2チーム。足利は前年REVENGE99の前に全国出場を阻まれましたが、元々都市対抗でも二次予選決勝リーグ進出は常連という底力で接戦2試合を勝ち抜きました。04年以来の優勝に向けてまた取り組み直しです。刮目すべきはウイン北広島。大会直前に起こった北海道担振地震のダメージは大きく、報道によれば復旧作業に当たるため参加を断念した選手も。大震災の直後に、生き死にに直接関わらない野球をしていいものかどうか悩まれたことと思いますが、葛藤を乗り越えて大会に挑み、ロキテクノ、ゴールデンリバースを破りベスト4進出。準決勝でも箕島に好ゲームを演じました。今大会、唯一見ることができた試合がウィン北広島の試合だったことを誇りに思うものです。

 東北勢については前回の記事で書いたので…43回を数えるクラブ野球選手権で、今回初めて岩手県代表のチームが本大会に出場しませんでした。実際に東北予選で戦い続けたのは水沢駒形であり、オール江刺で、県予選敗退チームのベンチ入りもできない阿呆がなんのかんの言っても始まらない部分ありますが、クラブチームが増え始めた21世紀以降の「進化」、それを見届けていずれ自分たちも再びあの舞台に立てればと思っています。目の前の試合を勝ち抜き最終的には西武ドームで戦い、優勝目指すというのは当たり前すぎるぐらい当たり前の目標。そう思う各チームの取組みのぶつかり合いを乗り越えられるように、応援するチームを支えたいしそのために熱意をもって頑張る社会人野球選手をこれからも見届けて行こうと思います。

 本当はもっと多くの試合を見たかったのですが毎年ごとに3歩後退して1歩前進するというような体調の変化もあり、当初の予定は大会二日目の第3試合まで見る予定でしたが、それをしたのでは居住地に戻れないと判断して1試合見ただけで帰途に着きました。私自身もいろんな意味で鍛え直し、再びクラブ野球選手権に臨むことを誓い、項を終わります。

2018社会人野球 東北勢はベスト8の壁に。ウイン北広島は17年ぶりにベスト4進出!―クラブ野球選手権2、3日目の結果。

 今日は。9月に行われたクラブ野球選手権本大会2、3日目の試合結果をお伝えいたします。本当はその時その時に書ければよかったんですが、所沢から必要な用事しながら生きて帰ってくるのに精一杯で意識が回りませんでした。大会が終わり毎日新聞で記事になり、社会人野球雑誌グランドスラムも発売され4ヶ月後に書くのも難ですがおつきあいください。

富士通IC 9−3 MSH医療

 4年ぶり出場のMSH医療は三回に先制、追いつかれた四回にすかさず再逆転。富士通エース本間を向こうに回し 複数の投手の継投で富士通に対峙したが、富士通は八回に同点に追いつくと、九回には大量6点をあげ経験の差を見せた。富士通の八百板、相川、MSHの塩崎と3ホームランが飛び出すも得点力の差を見せた富士通が2回戦に進出した。

◇大和高田ク 6−3 茨城GG

 クラブ野球選手権定番のカードともなっている両者の対決。大和高田は山本、茨城は倉田が先発。大和高田が二回までに3-0とリードするが、茨城は三回に2点を返し、六回に大和高田が再び突き放すも七回に茨城が再び1点差に詰めた。終盤までもつれる展開となったが大和高田は8回の2点でダメ押し。最後はベテラン米倉が茨城打線を封じ逃げ切った。

◇東北マークス 3−2 NOMOク

兵庫県に本拠地を移転後初の出場となるNOMOベースボールクラブ。二回に勢いよく先制するも、近年の全国の戦いでは1日の長がある東北マークスが三回に同点。NOMOは四回に1点をあげるも、東北マークスは六回に同点に追いつき、終盤八回に勝ち越し。投げては伊藤→鈴木の継投でNOMO打線を後半無得点に封じた。NOMOは北川が奮闘を見せたがあと一歩届かなかった。

全足利クラブ 4−3 矢場とんブースターズ

 2度目の出場矢場とんとクラブチーム古豪の一つ全足利クラブの試合は接戦に。5回に両チームが1点ずつを取り合い、七回に矢場とんが1点をリードしたが足利は八回に追いつきタイブレークに持ち込んだ。タイブレーク先攻の矢場とんは1点を挙げたが全足利底力を見せその裏に2点を返しサヨナラ勝ち。

  二日目の4試合を経て二回戦進出8チームが決まりました。東北勢は前年苦杯を喫した富士通、東北マークスがその悔しさを晴らし、ゴールデンリバースは2年連続で全国一勝。アレッズが敗れたものの出場4チーム中3チームが二回戦進出。他に強豪箕島、大和高田、全足利に震災のゆるぐなさを超えて出場した北広島、昨年優勝のビック開発が進出。どの野球大会でも面白いと言われる準々決勝4試合の結果は以下の通りです。

 ◇和歌山箕島 8−0 ビッグ開発BC

 前年優勝チームの箕島と一昨年優勝チームのビック開発という対決。当然接戦が予想されたが、蓋を開けてみたら予想外の大差で箕島が勝ち抜いた。箕島は三回、四回に1点ずつを上げると五回に大量6点をあげ完全にペースを握った。投げては和田、北表がビック開発打線を 7イニング無得点に封じ最終日に進出。ビック開発は五回裏のディフェンスに悔いを残した。

◇ウィン北広島 8−1 ゴールデンリバース

 17年前にも北広島と対戦しているゴールデンリバース(当時は前身的チームのユーランドクラブ)。両チームが再び最終日進出をかけて争ったこの試合、リバースは小沼以外の中心投手を継投させて北広島に相対したが、北広島は初戦リリーフで奮闘した咲山が好投するうちに打線が四回までに4点を先制。リバースは七回に1点を返したが北広島が七、八回に2点を挙げサヨナラコールドで準決勝進出。ゴールデンリバースは17年前のリベンジならなかった。

◇大和高田ク 7−0 富士通IC

 初戦後半突き放して勝ち上がってきた大和高田はその勢いそのままに、富士通のエース本間から四回までに6点を挙げ完全にペースを握ると、4投手継投で富士通打線を封じ込め七回コールドで準決勝進出を決めた。大和高田は家内にソロホームラン。富士通は捕手の秋山が打撃で意地を見せたが、大和高田の分厚い攻撃を防ぎきれなかった。 

全足利クラブ 2−0 東北マークス

 全足利は今シーズンの柱の一人野沢、東北マークスは茨城県の高校(常総学院)に在籍していた伊藤が先発。足利は三回に先制。中盤両者得点がなく「次の1点が試合の流れを決める」という雰囲気の中で点を奪い取ったのは足利だった。マークスは伊藤が奮闘するも足利から長打を奪えず、野沢は東北マークス打線を完封し最終日進出を決めた。

 大会三日目に行われた準々決勝。予選を勝ち抜いてきた猛者を1回は破った以上、相応の実力はどこも持っていますが、力が持つ=均衡が破れた時に一気に傾くことも。3試合目までのコールドゲームというのはその証明ですが…身近な強豪、身近なライバルチームがコールド食らって敗戦したというのは、実力を知ってるだけに余計に残念に思うものです。

 東北マークスもエースに成長した(今年初めまでノーマークでですみません)伊藤君が奮闘しましたが、これも直にその実力を思い知らされた全足利が競り勝って最終日進出。初日に二度の大量失点を跳ね返したウイン北広島が97年、01年に次いで17年ぶり3度目のベスト4進出を決めました。

 さて最終日の結果はいかに。J SPORTS でも中継された三試合の結果はエントリを改めてお伝えします。

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